舘信吾(たちしんご 1977年9月1日生)
[レーシングドライバー]
本来彼を起用してエントリーするはずだったフォーミュラ・ニッポンのチームTMSは、その後程無くしてチーム消滅の憂き目に遭っている。
通夜に駆けつけた鈴木恵一は涙を流し、レーシングドライバーの引退を決めた。舘の死からわずか10日後に行われた全日本GT選手権の開幕戦・鈴鹿のサポートレースであった全日本F3選手権の開幕戦でカート時代からの親友である荒聖治が悲しみを乗り越え、F3初優勝を飾った。GTの決勝レース前にはサーキットで黙祷が行われ、トムスと土屋エンジニアリングとタイサンのピットには彼の写真が飾られた。全日本GT選手権に出走した土屋武士とサポートレースのフォーミュラ・トヨタに出走した眞田清裕は自身のヘルメットに舘の名前を刻んだ。かつて全日本F3選手権にトムスから参戦したペドロ・デ・ラ・ロサは同年のF1ブラジルGPで自身のヘルメットに舘の名前を刻んでレースに出走した。片山右京は彼の遺品であるレーシングクローブを着用し、同年のル・マン24時間レースに出走、総合2位を獲得した。
1999年3月11日死去(享年21)