アタウルフォ・アルヘンタ

アタウルフォ・アルヘンタ(Ataulfo Argenta 本名:アタウルフォ・エクスペリオ・マルティーン・デ・アルヘンタ・マサ 1913年11月19日生)
 [スペイン・指揮者]



 カンタブリア州のカストロ・ウルディアレスで出生。父は、レンフェ(スペイン国鉄)職員で駅長を務めていた。1927年に13歳で王立マドリッド高等音楽学校に入学。1930年にピアノ科で首席を獲得し、1931年にはクリスティーナ・ニルソン賞を受賞する。ダンスホールや酒場でピアノを弾く傍ら、父と同じくレンフェに勤務した。音楽院で首席を獲得していたために、スペイン内戦における徴兵を免れ、ベルギーやドイツでピアノと指揮の研鑽を積むことができた。ドイツでは、指揮法をカール・シューリヒトに師事した。内戦が終わるとスペインに帰国。

 第2次世界大戦中は、マドリッド・スペイン国立管弦楽団に入団して、ピアノやチェレスタなどの鍵盤楽器を担当する。1944年にマドリッド室内管弦楽団の指揮者に就任し、1945年10月10日よりスペイン国立管弦楽団を指揮するようになった。1947年より終身音楽監督に就任した。

 アルヘンタはかねてより結核を患っており、1955年から1956年の間に5ヶ月間の療養を余儀なくされる病状であった。1958年1月21日、スペイン・マドリード市ロス・モリノスの自宅で一酸化炭素中毒により不慮の死を遂げる。書斎の暖房のスイッチを入れっぱなしにして自動車に乗り込み、車庫の扉を下ろしたままエンジンとヒーターをふかしたのである。車内に同乗していた学生は生き残った。国際的な成功はこれからという矢先の突然の死であった。

 1958年1月21日死去(享年44)