依田郁子

依田郁子(よだいくこ 1938年8月30日生)
 [陸上競技選手]



 長野県出身。小学校のときから俊足の誉れ高く、将来を期待されていた。高校時代には全国高校陸上大会の女子80mハードル部門で2年連続して優勝。高校卒業後リッカーミシンに入社。暁の超特急・吉岡隆徳の先駆的な指導もあって世界的な実力に成長し、女子80mハードルの日本記録を12回も塗り替えた。

 依田はスタートする前に独特の"儀式"を必ず行うことで知られていた。サロメチールを全身に塗りたくる、唾を手に吐き、これも全身に塗りたくる、前転を行う、など、ともすれば奇行とも思えるような行動であるが、依田はこれらの行動により、集中力を高めていたのである。

 1964年、東京オリンピック代表に選出され、メダルも期待されたが、調子を合わせきれず、5位入賞に留まった。なお、日本の女子陸上競技史上、スプリント種目での入賞はこの時の依田のみである。

 引退後は東京女子体育大学にて後進の指導に当たっていた。東京オリンピックから19年後の1983年、自宅にてネクタイで首を吊って自ら命を絶った。その理由は、遺書を残していないため知ることができない。人間関係のもつれや、健康状態への不安などの説がある。

 1983年10月14日死去(享年45)