長谷川信彦

長谷川信彦(はせがわのぶひこ 1947年3月5日生)
 [卓球選手]



 愛知県生まれ。最初はペンホルダーグリップの選手としてスタートした。ペンホルダー時代はあまり成功しなかったため、1963年、当時日本ではまだ珍しかったシェークハンドグリップに転向し、これをきっかけに躍進。名古屋電気工業高校時代の1964年には全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制した。

 1966年にはヨーロッパツアーに参戦し、エーベルハルト・シェラー(西ドイツ)らを破る活躍をみせる。1967年の世界卓球選手権ストックホルム大会では男子単および山中教子と組んだ混合複を制し、また男子団体でも優勝に輝いた。1969年ミュンヘン大会では日本の男子団体2連覇に貢献し、また今野安子と組んだ混合複でも連覇。世界選手権では合計5つの金メダルに輝いた。

 選手として一線を退いてからは、卓球用品メーカー株式会社タマスに入社し、同社の発行する雑誌の編集に携わった。1992年には群馬県桐生市に卓球場を開き、卓球の普及および後進の指導に取り組んでいたが、2005年11月7日朝、卓球場近くの木を伐採中に倒木の下敷きとなり、窒息死した。

 2005年11月7日死去(享年58)