ワレリー・ハルラモフ

ヴァレリー・ボリソヴィチ・ハルラモフ(Valeri Borisovich Kharlamov 1948年1月14日生)
 [ソ連・アイスホッケー選手]



 モスクワ生まれ。1967~1968シーズンから1980~1981シーズンまでソビエト連邦国内リーグで14シーズン、436試合HC CSKAモスクワでプレーし293ゴール、214アシストをあげ、その間11回優勝を味わった。

 1972年の札幌オリンピックで金メダルを獲得、当時オリンピックに出場できなかったNHL選手との対戦、サミット・シリーズでもチームメートのウラディスラフ・トレチャクらとともに活躍した。爆発的なスピード、敏捷性、得点力を兼ねそろえた彼はカナダのファンも虜にした。1976年のインスブルックオリンピックでは金メダル、1980年のレークプラシッドオリンピックではアメリカ代表に敗れて銀メダルとなった。

 1981年8月27日、バカンスからの帰途に夫妻で交通事故に遭い33歳で亡くなった。運転していたのは妻イリーナで、コントロールを失って対向車線のトラックと衝突したとみられる。

 死後、1998年に国際アイスホッケー連盟殿堂入りを果たした。2003年よりNHLの最優秀ロシア人選手にハルラモフ杯が贈られている。2013年にはハラルモフを描いた映画『伝説の17番』がロシアで制作、公開された。


 1981年8月27日死去(享年33)