若井はんじ

若井はんじ(わかいはんじ 本名:若井輝雄 1933年生)
 [漫才師]



 1935年、漫才師だった両親の巡業先の京都富貴席の楽屋で生まれる。子供のころからトランペット、ドラムといった楽器演奏をはじめとしたあらゆる芸を仕込まれた。1946年、12歳の時に「荒川照坊」の名で両親とトリオを組み、巡業先の愛知県半田市で初舞台。翌年、父親がメチルアルコールの多量摂取で死去したため、母子のコンビとなる。

 

 1948年、名古屋市の寄席において、「荒川福児・笑児」の名で兄と漫才コンビを組み初舞台を踏む。1957年の新花月のデビューから人気急上昇。1960年10月に「若井はんじ・けんじ」と改名し、道頓堀角座で披露興行を行った。1964年から1973年にかけ、MBSテレビ『ダイビングクイズ』の司会を務め、人気を博した。

 1975年に胃癌のため入院。一時快方に向かうが、同年12月に再入院し、翌年死去。癌であることは本人に知らされないままだった。


 1976年2月6日死去(享年42)