ペトラ・ケリー

ペトラ・ケリー(Petra Kelly 1947年11月29日生)
 [ドイツ・政治家]



 1947年にバイエルン州ギュンツブルクに生まれ、1959年から1970年までアメリカ合衆国に生活し、そこで教育を受けた。ワシントンD.C.にあるアメリカン大学の国際関係学部を卒業後、1971年から1983年の間、ベルギーのブリュッセルにある欧州委員会で働きながら、ドイツやその他の国々で、数多くの平和活動環境保護キャンペーンに参加した。

 ケリーは、1979年「緑の人々」「緑の党」がドイツで旗揚げした時、その中心的なメンバーの一人としてマスコミの前に姿を現した。1983年から1990年まで、彼女は旧西ドイツの連邦議会で、緑の党の代議員の一人として活動した。1982年「軍縮と社会的正義と人権へのエコロジカルと環境保護的な関心を結びつける新たな視点を編み出し、それを具体的な実現へ向けて前進させた功により」ライト・ライブリフッド賞を受賞している。1985年以降、チベット問題に関心を強め、これにかなり深くかかわるようになった。

 1992年、ケリーは睡眠中、配偶者でドイツ陸軍少佐、緑の党の政治家でもあったゲルト・バスティアンによって射殺された。ゲルトはその直後に自殺している。専門家やケリーの親しい友人は、彼女の死は全く予想もつかなかったもので、彼女の意図とは無関係と推測している。

 1992年10月1日死去(享年44)