黒木曜子

黒木曜子(くろきようこ 本名:井関富沙子 1921年1月6日生)
 [歌手]



 大阪府に生まれる。大阪府立泉尾高等女学校卒業。戦時中は満洲に渡り、戦後に引き揚げ。1948年、「想い出のスバル」で歌手デビュー。タンゴやラテン音楽を中心に歌う。1950年8月発売の「ベサメ・ムーチョ」が大ヒットし、1952年には「嘆きのブルー・ビギン」もヒットを記録した。

 1959年2月18日、東京都町田市の自宅近くの小田急線の無人踏切を長女(当時17歳)と共に横断中に、下り列車にはねられ、長女と共に轢死。当時、雨が降っており傘をさしていて、2人で肩を組んで歩いていたため列車に気づかなかったという。

 事故から2ヶ月後の4月2日には、長女の実父であり黒木の交際相手であった作曲家の後藤資公(49)が、事故現場の踏切で後追い服毒自殺をしている。死後、事故現場近くに、慰霊のための観音像が建てられた。

 1959年2月18日死去(享年38)