吹上佐太郎(ふきあげさたろう 1889年2月生)
[連続強姦犯]
1922年の仮釈放後はトンネル工事作業員や田舎廻りの劇団員などになったがいずれの職も長続きせず、仕事を求め流れ歩いていた。そして、抑圧された34歳の性欲は留まるところを知らなかった。関東を中心に茨城、千葉、群馬、長野、埼玉、神奈川などを転々とするが、至るところで犯行を行った。11歳から15歳までの少女16人を強姦し、うち4人を殺害。15歳以上の少女は11人を強姦し、うち2人を殺害した。相手が拒否、反抗の態度を示した場合殺害したという。
佐太郎は強姦しただけの相手を「生き別れ」、絞殺した相手を「死に別れ」と表現した。1923年6月群馬で12歳の少女を絞殺。8月には15歳の少女を長野で殺害。この一週間後、11歳の少女を群馬で殺害。1924年7月28日に佐太郎は東京で逮捕され、13人を殺害した事を自供したが、この人数に関しては刑事に「騙された」と本人が述べている。予審終結決定では3件の強姦殺人しか認められなかったが、これに対して佐太郎は「6件」だと主張し、裁判官を嘲笑した。結局、前橋地裁で死刑判決が下り、1926年7月2日に上告は棄却され、死刑は確定。死刑確定2ヶ月後の9月28日に絞首刑は執行された。
佐太郎は死刑囚となって猛勉強し、西洋の哲学書、文学を読破し、原稿用紙3000枚という膨大な自伝『娑婆』を残したが、『娑婆』は発売と同時に発禁処分となった。
1926年9月28日死去(享年37)