トルライフ・ハウグ

トルライフ・ハウグ(Thorleif Haug 1894年9月28日生)
 [ノルウェー・スキー選手]



 1910~1920年代にクロスカントリースキー、ノルディック複合で最強を誇り、1924年、フランス・シャモニーでの第1回冬季オリンピックでノルディックスキー4種目の内3種目で金メダルを獲得、スキージャンプでも銅メダルを獲得した。しかし、このスキージャンプでは50年後の1974年になって当時の成績に計算ミスが発見され、アメリカのアンダース・ハウゲンが3位、ハウグは4位となった。加えて、ホルメンコーレンスキー大会のクロスカントリー50kmで史上最多6度の優勝(1918年から1921年まで4連覇、1923年1924年2連覇)、同ノルディック複合で3度優勝(1919年から1921年まで3連覇)している。1919年にはオットー・アーセン(ノルウェー)とともにホルメンコーレン・メダルを受賞している。ハウグは1926年のノルディックスキー世界選手権(ラハティ)にてノルディック複合銀メダルを獲得している。

 引退後のはハウグは配管工として働いていたが、1934年に40歳の若さで肺炎のため死去した。ハウグが所属していたスキークラブでは1966年から彼の名を冠した記念レースを開催している。このレースは、途中かつてのハウグの自宅周辺を通るようにコースが設定されている。

 1934年12月12日死去(享年40)