キング・タビー

キング・タビー(King Tubby 本名:オズボーン・ラドック 1941年1月28日生)
 [ジャマイカ・音楽エンジニア]



 キング・タビーの音楽のキャリアは、キングストンの屋外の移動式ディスコであるサウンド・システムから始まる。彼はラジオ修理の技術に長けていたので、大手のサウンド・システムから引く手あまたであった。なぜなら、カリブ海の島の熱帯の気候では、屋外での機材はすぐに故障したためである。キング・タビーは、機材なども自分の手作り特製で、当時のジャマイカの3分の2の機材は、タビーが作った物だと言われていた。

 1968年、キング・タビーはプロデューサーのデューク・リードの元で、原盤のカッティング技師として働きはじめる。ライバルのコクソン・ドッドと並んで初期のジャマイカ音楽の重要なひとりと称されるデューク・リードは、ジャマイカで最初のレコーディングスタジオのひとつであるトレジャー・アイル・スタジオの経営者であり、スカやロックステディ、レゲエの主要なプロデューサーである。

 1970年代に入ると、キング・タビーは自身のスタジオ、「キング・タビーズKing Tubby's」の経営を始める。彼のスタジオは原始的な2トラック、もしくは4トラックのミキシング機材しかなかったが、手に入るだけのエフェクターに電気技術的なあらゆる加工を施して、他の誰にもまねのできないを音を作った。1972年から74年の間には、リー・ペリーやオーガスタス・パブロといったプロデューサーもキング・タビーと仕事をして、ダブの名盤が数多く録音された。

 1989年2月6日にデュアニーパークの自宅の外で、何者かに撃たれて殺された。彼は、ウォーターハウススタジオでセッションから戻るところだった。殺人は恐らく強盗が目的であったと言われている。 

 1989年2月6日死去(享年48)