山田花子

山田花子(やまだはなこ 本名:高市由美 1967年6月10日生)
 [漫画家]



 1967年、東京都でトロツキストの著述家高市俊皓の長女として生まれる。子供の頃から、動物と絵本作りが好きであった。小学生時代は、楳図かずお、小林よしのり、ジョージ秋山、日野日出志、水木しげるらの漫画に熱中。中学2年生の時、いじめが原因で自殺未遂。以後、人間不信になる。いじめは高校時代も続き、「山田花子」としての処女作『神の悪フザケ』のメイン・テーマとなった。

 1982年9月に15歳で雑誌『なかよし』のギャグ漫画大賞佳作に入選。翌年5月号からペンネーム裏町かもめで『なかよしDX』にて連載を始める。その後、学校生活に馴染めず高校を1年で中退、アルバイトをしながら通信制の高校へ編入学。一方で、根本敬の漫画に傾倒。根本が主催していた「幻の名盤解放同盟」のイベントにもしばしば参加。また、高杉弾の影響で編集者も志し、大検を取得し、日本デザイン専門学校グラフィックデザイン科に入学。卒表寸前に、「人でなし」が『ヤングマガジン』の月刊奨励賞を受賞した。

 1987年10月、山田花子のペンネームで『ヤングマガジン』のちばてつや賞佳作入賞(ちばてつやの妻が熱心に推挙したという)。翌1988年1月号から『ヤングマガジン』で「神の悪フザケ」の連載を始め、一部で熱狂的なファンを生んだ一方、読者による人気投票の結果は低迷していたという説もある。1989年5月、初の単行本となる「神の悪フザケ」が講談社より刊行される。1989年8月、活躍の場をマイナーではあるが、憧れの雑誌であった『月刊ガロ』に移し、連載を始める。またいくつかの雑誌で、漫画やコラムを発表する。

 1992年3月4日、24歳の時、統合失調症のため桜ヶ丘記念病院に入院。同年5月23日退院。翌24日、団地の11階から飛び降り自殺。彼女の死を報じる新聞記事には、「多摩市内の無職A子さん」とだけ記されていた。

 喫茶店でアルバイトをしており、その様子は著作内でもみることができるが、解雇された際には「なんとかもう一度雇ってほしい」と懇願し、店を離れようとしなかった。解雇通告後、アルバイト先の最寄駅ホームに放心状態で佇んでいるところを警察に保護されたこともある。

 生前はメモ魔であったと言われており、残した日記、メモの多くは死後刊行された「山田花子自殺直前日記」に掲載されており、彼女がどのような葛藤の末、飛び降り自殺をするに至ったかを知ることができる。

 1992年5月24日死去(享年24)