ボブ・ウォレク

ボブ・ウォレク(Bob Wollek 1943年11月4日生)
 [フランス・レーシングドライバー]



 ストラスブールの出身。レース活動を開始する前、学生のころのウォレクは1966年から1968年までスキーのフランス代表チームのメンバーだった。ウォレクは冬季ユニバーシアード大会に出場し、金メダルを3個、銀メダルを2個獲得した。しかし、ウォレクは冬季オリンピックの準備中に負傷したことでスキーのキャリアを終了した。

 スキーのアクシデントによる選手生命を絶たれる前に、ウォレクは自動車レースを始めていた。1967年のモンブランラリーにルノー・8ゴルディーニで参戦し、ウォレクは勝利を収めた。その後「アルパイン・トロフィー・ル・マン」に勝利するとル・マン24時間レースへの参戦する機会を得、ル・マン24時間のデビュー戦を11位でフィニッシュした。1969年、ウォレクはフォーミュラ・フランスでシングルシーターマシンの選手権にデビューし、その後フランスF3選手権にステップアップした。1971年、ウォレクはロン・デニス率いるロンデル・レーシングよりF2に参戦した。初年度は1ポイントしか挙げることができず不安定なスタートだったが、翌1972年にはイモラでの1勝を含め21ポイントを獲得しランキング7位となった。しかしウォレクはF1への野心を捨ててスポーツカーレースに集中することを選択し、これは後に自身の代名詞になった。

 ウォレクは50歳を過ぎてもレーサーとして高い能力を維持していた。ウォレクはトレーニングのリストを作成して自転車に乗り、ル・マン24時間レースのような長いレースにも耐えられるように身体の好調を維持した。1970年代の中盤、ウォレクはケルンを本拠とするゲオルク・ルースのジェロ・レーシングよりポルシェ・935で参戦した。ウォレクは30年にわたるスポーツカーレースのキャリアのほとんどでポルシェをドライブし、ヨースト・レーシングのポルシェ・936、ポルシェ・956をドライブしてデイトナ24時間レースで4度の勝利を挙げ、DRMでは2度のタイトルを獲得した。

 2001年3月16日、セブリング12時間レースのプラクティスを終えたウォレクはセブリング・インターナショナル・レースウェイから宿泊施設に向け、続けていたトレーニングの習慣にしたがい、自転車でハイウェイ98号を西に向かっていた。舗装部分の端付近を走行していたウォレクは、午後4時半ころ、フロリダ州オキーチョビーの老人が運転するバンに追突された。ウォレクはセブリングのハイランズ地域医療センターに搬送されたが、到着時には死亡していたと発表された。ウォレクはピーターセン・モータースポーツのポルシェ・996 GT3-RSから参戦する予定だったがチームはウォレクへの敬意を払いレースへの出走を取り消した。決勝日、レース主催者はウォレクのために1分間の黙祷の時間をとった。生前のウォレクは、レースを引退してポルシェの大使役を務めると発表しており、セブリングのレース後にこの契約にサインする予定だった。

 2001年3月16日死去(享年57)