リビー・ホルマン

リビー・ホルマン(Libby Holman 1904年5月23日生)
 [アメリカ・歌手/女優]



 シンシナティ生まれ。1923年にシンシナティ大学を卒業後、「名声と富裕」を求めてニューヨークに出て、1925年からは舞台女優として成功した。1931年にデュポン財閥の跡継ぎの一人で飛行士のスミス・レイノルズと結婚。一方の望みは果たしたものの、夫は妻の舞台出演を禁じ、翌年にはピストル自殺を遂げた。夫の死後すぐに産まれた息子は625万ドルの遺産を継いだ。

 リビーはその後舞台に戻ったが、彼女の運命はこれをきっかけに狂いはじめ、再婚相手の舞台俳優も自殺を遂げ、一人息子は1950年にカリフォルニアの山で遭難。1950年代に映画俳優のモンゴメリー・クリフトと同棲したが、バイセクシャルであったクリフトは自動車事故で顔面を負傷し映画出演の道を閉ざされ、自分の息子のために設立したクリストファー・レイノルズ財団の理事長は首吊り自殺を遂げた。

 芸能界から「疫病神」と呼ばれたリビーは、56歳で再婚したが、1971年6月に自宅から姿を消し、発見されたときにはロールス・ロイスの車内で一酸化炭素中毒で死亡していた。彼女の死はうつ病による自殺と裁定された。

 1971年6月18日死去(享年67)