サンアディユ

サンアディユ(2002年3月26日生)
 [競走馬]



 2005年4月17日、阪神競馬場にて3歳で遅いデビューを迎え、4着。休養を経ての3戦目で初勝利を挙げ、以後一貫してダートの競走を走り続ける。その後しばらく条件クラスで低迷していたが、4歳夏からの3戦で3連勝を遂げてオープン昇格を果たす。しかし2007年に入り、ガーネットステークスで初の重賞に挑戦するもこのクラスではなかなか自分の型に持ち込むことができず、続く京葉ステークスとも立て続けに大敗を喫した。

 引退(地方競馬移籍)も囁かれるなか、短期放牧を挟んで初めての芝コースとなるアイビスサマーダッシュに出走。鞍上の村田一誠が同馬初騎乗ということもあり13番人気の低評価であったが、それまで先行策一辺倒だったイメージを払拭する中団からの差し切りを演じて快勝。5歳にして初重賞制覇を果たした。

 サマースプリントシリーズのチャンピオンを目指し臨んだ北九州記念は先行争いの速い流れに巻き込まれてしまい7着に終わったが、シリーズ最終戦となるセントウルステークスでは2番手から抜け出すと5馬身差の圧勝。鞍上の川田将雅は初騎乗であったものの、11番人気という低評価を再び覆す結果となった。勝ち時計1分07秒1は2002年にビリーヴが記録したものと並ぶレースレコードであり、この勝利でシリーズのチャンピオンとなり5000万円のボーナスを獲得した。

 その後、余勢を駆って第41回スプリンターズステークスに出走。1番人気に支持されてのレースとなったが、好スタートを切ったアストンマーチャンが逃げるなかその後ろの集団につけ、最後の直線で逃げるアストンマーチャンに迫ったものの最後はかわしきれず2着に敗れた。その後は香港スプリントへの挑戦が予定されていたが、検疫の都合で回避。京阪杯に出走し、1番人気の支持に応え重賞3勝目を挙げた。

 2008年は春の目標を高松宮記念に据えて大井から移籍したばかりの内田博幸を鞍上に迎え、オーシャンステークスから始動する。単勝1.7倍の圧倒的1番人気に支持されていたもののスタートで隣りの枠に入っていたアイルラヴァゲインが後ろ扉を蹴ったことに驚き、サンアディユ自身もゲート内で前扉をくぐろうとするなど暴れてしまう。さらに発走態勢が整わないままゲートが開かれてしまったことにより大きく出遅れてしまい、そのまま最下位16着に敗れた。元来、音に敏感な面があり、驚くと体をこわばらせてしまう面があった。

 その翌日の3月9日、栗東トレセンの馬房で倒れ、獣医師による懸命の措置も実らず正午過ぎに心不全により急死した。

 その後、オーシャンステークスで1番人気のサンアディユがゲート内で暴れた挙句大きく出遅れて最下位に沈んだことについて、スターターをはじめとするJRA職員の対応が不適切ではなかったのか?と他馬に騎乗していた騎手らから不満の声があがり、JRAは異例の謝罪会見を開いた。

 また当事者であったサンアディユが翌日に死亡したことから、前日のレースでパニック状態のままスタートが切られ心臓に負担がかかったのが原因、極端なところではJRAが同馬を殺したという意見まで出ている。

 ちなみに馬名のサンアディユはフランス語で「さよならは言わないで」という意味である。

 2008年3月9日死去(享年5)