ゲルハルト・ミッター

ゲルハルト・カール・ミッター(Gerhard Karl Mitter 1935年8月30日生)
 [ドイツ・レーシングドライバー]



 チェコスロバキア出身。当初は2輪の方で活躍していたが、後に4輪に転向。フォーミュラ・ジュニアに参戦し、通算40勝を記録した。これはフォーミュラ・ジュニアにおけるドイツ人最多勝記録でもある。1963年にはプライベート・ポルシェからF1に参戦。主にドイツグランプリのみのスポット参戦、また後年はF2マシンでの出走だったが、デビュー2戦目となった1963年のドイツグランプリでは4位入賞を果たしている。またミッターはF1以外のカテゴリーでも活躍し、1966年からヒルクライムのヨーロッパ選手権で3連覇を達成。1969年のタルガ・フローリオも制している。

 ニュルブルクリンクでの1969年F1ドイツグランプリでの予選中BMWのF2マシンで出走していたミッターはアデナウの高速ストレートを走行中に突然右のフロントタイヤがホイールごと外れるトラブルに見舞われ、コントロールの利かなくなったマシンは約170km/hでスピンを起こし、キャッチネットを突き破りフェンスに激突。マシンは粉砕しミッターは即死した。

 サスペンションかステアリングの故障が原因と見られたことでBMW勢はこのレースを撤退することとなった。

 1969年8月1日死去(享年33)