中森明菜

中森明菜(なかもりあきな 1965年7月13日生)
 [歌手/女優]



 1981年、オーディション番組『スター誕生!』に本選3度目の挑戦時、史上最高得点で合格。1982年5月1日に「スローモーション」でデビュー。同年、第2弾シングル「少女A」がヒットとなる。さらに続く「セカンド・ラブ」が1983年を代表するヒットとなった。

 ベステテン番組の常連となるが、当時、同じくトップアイドルとして活躍していたマッチこと近藤真彦と交際を続けていた。

 1989年7月11日に、近藤真彦の自宅マンション浴槽にて腕の真ん中の関節を深く切り自殺未遂事件を起こしたが、近藤によって発見され、一命を取り留めた。だが、中森は左腕肘の内側を8センチも切って、深さは2センチもあり、ためらい傷もなくザックリと切れていたことにより、狂言ではなく、本気の自殺だったと見られた。

 その原因は近藤の所属するジャニーズ事務所の猛反対といやがらせ、その数ヶ月前に起きた近藤と松田聖子の密会キス場面スキャンダルでのショック、また、結婚願望が強い中森に近藤が答えられずに破局・・・といろいろな噂があった。同年12月31日には、当時交際が噂された近藤真彦が同席し、記者会見が行われた。背景が金屏風だったため、マスコミ各社は婚約発表会見と見ていたが、実際行われたのは異例の自殺未遂謝罪記者会見であった。結局、近藤が中森との結婚について会見内で否定した。

 ちなみに当時、静岡県伊東市沖合に位置する海底火山(手石海丘)では、地震活動が活発化していた。群発地震が最高潮となった7月9日には、伊東市近隣で何かしらの火山活動が発生することが濃厚となり、報道機関の取材陣が伊東市に押しかける状態となった。ところが7月11日、中森明菜の自殺未遂事件が発生。直後に噴火した手石海丘は、海岸線から直接火山噴火が目視できる世界でも希な現象であったにもかかわらず、テレビニュースでは自殺未遂の続報の次以降のネタとして扱われた。扱いの低さに、火山学者の中には激怒する者もいたが、結果的には観光地である伊東市周辺の風評被害が最低限に抑えられた。