ズジスワフ・ベクシンスキー

ズジスワフ・ベクシンスキー(Zdzisaw Beksiski 1929年2月24日生)
 [ポーランド・画家/芸術家]



 作品では、死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などが描かれ、それは不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる。独特の世界観から多くの支持を得た画家である。作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれる程だが、彼自身は人当たりが良く少し内向的で、人との会話をよく楽しんだとして知られている。だが、政治不信、マスコミ嫌い等があり、普段は隠居のように暮らし制作に没頭しており、他の芸術に触れることも嫌った為、ポーランド語以外は話さず、ポーランドから出る事も生涯なかった。

 彼の作品には総てタイトルがついておらず、作品の理論付けや詮索を非常に嫌った。作品を描く際は、常に大音量のクラシック音楽をかけており、どこにいくにもクラシック音楽を共にしていた。ベクシンスキーは、作品をバロックとゴシックと技法を分けており、最後5年ほどに手がけた作品は殆どがゴシックである。1990年以降は、それらに加えて、コンピューターグラフィックスで写真の加工による作品も手がけており、死ぬ間際まで関心を持ち制作を行っていた。

 ポーランド南東部のサノク出身。少年時代にナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験している。祖父や父が建築関係者ということで、クラクフ工業大学建築設計学部に入学、卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進む。

 1964年、初個展では作品の全てに買い手がつき、すぐさまポーランドの代表的な近代芸術家として認知される。当初は抽象画を描いていたが、1960年代の間に独自のゴシック的でシュルレアリスム的な、あるいは幻想的リアリズムと称される画風に移行する。

 1998年、妻が亡くなる。1999年のクリスマスイブ、ポピュラー音楽の評論家であり映画の翻訳家の息子が鬱病により自殺。ベクシンスキーは息子の死との折り合いを付けられず、『もし私がくたばった時に備えて、Tomek(息子の愛称)へ』と綴った手紙を壁にピンで留めていた。 

 2005年、自宅にて2人の若者に殺害される。彼の身体には17箇所の刺し傷があり、内2箇所が致命傷であった。ベクシンスキーの誕生日2日前の出来事であった。後に主犯として、長年彼のパトロンであり友人でもあった人物の16歳の息子とその親族が逮捕されており、借金の頼みを断った事が動機と報道されている。

 2005年2月22日死去(享年75)