サクラスターオー

サクラスターオー(1984年5月2日生)
 [競走馬]



 父サクラショウリ、母サクラスマイルとの間に生まれる。スターオーの生後約2ヶ月後の7月15日、母サクラスマイルは腸捻転の為に唯一の産駒スターオーを残して急逝。そのため、スターオーはスターロツチを乳母として育つ。

 1986年10月5日、デビュー戦の新馬戦を2着、2戦目の新馬戦を優勝したのち、骨膜炎に罹り4ヶ月の休養となる。

 翌年2月の寒梅賞から復帰し5着、その後弥生賞を6番人気で優勝する。4月19日に行われた第47回皐月賞は2番人気で優勝する。しかし、皐月賞後に繋靱帯炎を発症し、東京優駿の出走をあきらめ、6ヶ月半の休養を余儀なくされる。

 9月15日美浦トレーニングセンター帰厩。そして11月8日に京都競馬場で行われた第48回菊花賞で、9番人気ながら復活勝利を果たす。当時あまり例がなかった、長期休養明け初戦でのGIレースの勝利になった。

 本来ならばこのまま休養に入り、翌年の天皇賞を目指す筈であった。だが、ミホシンザン等の有力馬の引退や不在故に目玉となる馬の出走を望んだファンとJRAの熱心な依頼などもあり、12月27日に中山競馬場で行われた第32回有馬記念に出走する事になった。当日は、脚部不安を抱えていたとは思えない良好な状態だった。

 だが、好調だった事が仇となったのか、1番人気を背負ったサクラスターオーは、2周目4コーナーで左前脚繋靱帯断裂・第一指関節脱臼を発症し、競走中止。この事故については、馬自身の脚部不安によるものと多くの競馬記事や読物では語られているが、一方では脚部不安は関係なく、他馬の疾走で芝生の上にできた脚跡の穴にスターオーの脚が引っかかってしまったものとも言われている。本来なら予後不良と診断され安楽死処分となるところを、ファンの助命嘆願とせめて種牡馬として復帰できる可能性を模索したオーナーの意志により、厩舎での長い闘病生活に入ることとなる。

 翌年1988年1月19日、サクラスターオーが1987年のJRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬に選ばれる。この頃、闘病中のサクラスターオーの厩舎にはファンから多くの激励の手紙や千羽鶴などが届けられていた。4月8日、患部にスチールプレートを埋め込みボルトで固定する手術が行われる。しかし手当ての甲斐なく、脚が体重を支えきれなくなり、立ち上がろうとした際に右前脚第一、第二指関節脱臼を発症。自力での起立が不可能となり、5月12日午後10時過ぎ安楽死の措置が取られた。

 1988年5月12日死去(享年4)