ジュリアン・スクリャービン

ユリアン・アレクサンドロヴィチ・スクリャービン(Julian Alexandrovich Scriabin 1908年2月12日生)
 [ロシア・作曲家]



 ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービンがその愛人タチヤナ・ド・シュレーゼールともうけた男児。日本では、ジュリアンと呼ばれている。

 神童としてピアノ演奏と作曲に目ざましい能力を発揮し、レインゴリト・グリエールに師事して、亡父の晩年様式によるピアノ曲を数点残した。将来が嘱望されていたものの、11歳のときに水難事故により死亡した。

 1919年6月22日、学校行事のピクニックでキエフに出かけたが、ドニエプル川で水遊びの最中に行方が分からなくなった(ジュリアンは水着を着るのを嫌がり川に入らなかったという)。翌日、ドニエプル川で水死体となって発見されたが、ジュリアンが亡くなる直前の目撃証言がなく、検死も行われなかったため、正確な死の状況は不明である。不可解な死だが川での溺死事故とみられる。

 1919年6月22日死去(享年11)