志村けん

 日本を代表するコメディアンの一人で、ザ・ドリフターズの一員の『志村けん』だが、1996年に突如として死亡説が流れたことがある。その原因とはいったい…



 1996年9月から10月頃、突如として「志村けん死亡説」が流れた。ずっと順調に歩んできたと思われがちな志村だが、死亡説流布の前後にはレギュラー番組がない低迷期があり、テレビで見かけなくなったのが騒動の背景にあると思われる。インターネットのあまり普及されていなかった時期としては、異例の伝搬だった。

 以下に原因とされるものを列記。
 ①説が流れる直前の夏にゴルフ場でちょっとした脱水症状になったこと。
 ②その前後に飲み屋で志村が「俺もうダメかも知れないよ」と言ったこと(しかし、本人が本当に言ったかどうかは定かではない)。
 ③ゴールデンタイムでの志村の番組が終わったこと。
 ④都内で同姓同名(漢字は異なる)の老人が亡くなり、新聞のおくやみの欄に載っていた。

 この4つがミックスされて噂となり、志村の故郷・東村山の女子中高生の間から広まったとされる。最初は「死亡か?」という程度だったが、段々エスカレートして「群馬県のゴルフ場で急死した」、「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で死んだ」、「死んだことは四十九日法要が過ぎてからでないと公表されない」、「今放送している番組は生前に撮り溜めしたもの」等と具体的な内容の噂に発展。栃木県立がんセンターが「志村さんは入院していない」という異例の声明を出し、9月28日には本人がインターホン越しに記者会見し健在をアピールした。死亡説流布時、騒動が大きくなったためマスコミへ発表したが、インタビューを含めて殆どが芸能ニュースではなく社会ニュースとして取り上げられた。

 また、死亡説が浮上した原因についてまったく違った見解も存在する。アンチ志村ファンによる嫌がらせ説、熱狂的な志村ファンが人気復活を熱望する思いから意図的に流した説、低迷していた志村けん自身が人気復活をかけて自ら仕掛けた説などの噂も存在する。

 2020年3月20日、重度の肺炎を起こし、緊急入院。3月29日、新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎のため、70歳で亡くなった。