マルコム・ホイットマン

マルコム・ダグラス・ホイットマン(Malcolm Douglass Whitman 1877年3月15日生)
 [アメリカ・テニス選手]



 ニューヨーク出身。ハーバード大学卒業。初期の全米選手権(現在の全米オープン)で、1898年から1900年まで男子シングルス3連覇を達成した選手である。彼は1900年に創設された男子テニス国別対抗戦「デビスカップ」において、カップ寄贈者のドワイト・デービス、ホルコム・ウォードとともに、最初のアメリカ代表チームの一員としてプレーした。

 彼のテニスは、逆方向のツイストサーブ(打球がコート上に落ちると、レシーバーの左側で逆回転するサービス)を発明し、鋭いボレーで一気にたたみかける攻撃を得意にした。右利きの選手で、身長は188cmほどであった。

 競技生活から引退して30年近くたち、ホイットマンは1931年に『Tennis Origins and Mysteries』(テニスの起源と謎)という著書を出版した。ところが、本の出版の翌年の12月28日、彼はニューヨークの自宅アパートから飛び降りて自殺した。神経衰弱を患っていたという。

 1954年、ジェームズ・バン・アレンが、最初の全米シングルス選手権会場があったロードアイランド州ニューポートの地に「国際テニス殿堂」を設立した。第1回の国際テニス殿堂入り式典は1955年に行われ、マルコム・ホイットマンは第1回全米選手権優勝者リチャード・シアーズらと並んで、最初の殿堂入りをした7名の選手のひとりに選ばれた。

 1932年12月28日死去(享年55)