アントニオ・デ・ニグリス

アントニオ・デ・ニグリス・グアハルド(Antonio de Nigris Guajardo 1978年4月1日生)
 [メキシコ・サッカー選手]



 ヌエボ・レオン州のモンテレイに生まれ、地元のCFモンテレイからデビューした。ポジションはFW。2001年3月7日、ブラジルとの親善試合(3-3)でメキシコ代表デビューし、その試合で初得点も決めた。3月25日に行われた2002 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選のジャマイカ戦では、先制点を含む2得点を挙げて4-0での快勝に貢献した。5月から6月にかけて日本と韓国で共催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001に出場し、7月に出場したコロンビア開催のコパ・アメリカ2001では決勝で開催国に敗れたが準優勝の成績を残した。

 2003年にスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)のビジャレアルCFに移籍し、ポリデポルティーボ・エヒド時代も含めて2年間ほどスペインでプレーするが、大きなインパクトは残せなかった。コロンビア・プロサッカーリーグのオンセ・カルダスに在籍していた2004年にはインターコンチネンタルカップに出場し、FCポルトとの試合でPKを決めたが、PK戦の末に敗れている。その後再びメキシコに戻ったが、2006年3月20日にブラジル・セリエAのサントスFCと契約し、コパ・ド・ブラジルのブラジリエンセFC戦でデビューした。同年後半にはトルコのガズィアンテプスポルに移籍し、アンカラスポル、MKEアンカラギュジュと短期間にトルコのクラブを渡り歩いた。心臓に問題が見つかってアンカラギュジュとの契約を解除され、トルコサッカー連盟からプレーのライセンスを剥奪された。

 7年間ほど代表から離れていたが、2008年2月6日のアメリカとの親善試合のためにウーゴ・サンチェス監督に招集され、久々の代表復帰を果たした。途中出場したこの試合では実力を発揮できなかったが、ロンドンで行われたガーナとの親善試合にも出場した。2009年夏、ギリシャ・スーパーリーグのAEL 1964と2年契約を結んだが、同年11月16日、就寝中に心臓発作を起こして急死した。この時、妻との間には5歳になる娘がいた。

 2009年11月16日死去(享年31)