ホイットニー・ヒューストン

ホイットニー・エリザベス・ヒューストン(Whitney Elizabeth Houston 1963年8月9日生)
 [アメリカ・歌手/女優]



 ニュージャージー州出身。著名なソウルシンガーを親戚に持つ。11歳の時にジュニア・ゴスペル・クワイアに入り、ニュージャージー教会で歌い始めた。ニューヨーク市地域のナイトクラブで、母親とパフォーマンスをしていたところをアリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスにスカウトされた。

 1985年、デビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』は大ヒットとなった。1987年に発表した2枚目のスタジオ・アルバム『ホイットニーII~すてきなSomebody』は、ビルボード200チャートに初登場1位を記録する。1992年には、初主演映画『ボディガード』が公開される。映画のサウンドトラックはグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞するなど、高い評価を受け、アルバムからのリカット・シングル「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は自身最大のヒットとなった。同年、歌手のボビー・ブラウンと結婚。翌年には一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウンを出産した。

 2000年にベスト・アルバム『ザ・グレイテスト・ヒッツ』を発売したが、時期を同じくしてハワイの空港で大麻所持で拘束された。激しく体重の落ちた姿が度々見られるなど健康を害し、その後テレビ番組で大麻やコカイン等の常用を告白している。夫が暴行などで度々逮捕され、離婚説が幾度も報じられるなどのトラブルもあり、週刊誌やテレビ等で私生活を取上げられる事が多かった。

 2006年10月にボビー・ブラウンとの結婚生活に終止符を打ち、リハビリ生活を開始。2009年8月にアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』が発売され、1週目で30万枚以上を売り上げビルボード200の初登場1位を獲得、復活を果たした。2010年2月の東京公演を皮切りに11年ぶりのワールドツアーも実施した。しかし英国でのコンサートで息が切れたり、パリ公演では呼吸器の感染症で入院するなど、トラブルが相次ぎ、2011年7月にアルコール・薬物依存からの復帰プログラムを再開し、2012年1月には破産寸前であると報じられるなど、さまざまな問題が続いていた。

 2012年2月11日に、カリフォルニア州ビバリーヒルズにあるビバリーヒルトン・ホテル4階客室の浴槽の中に倒れていたところを発見され、救急隊が20分間にわたって蘇生処置を施したが、同日午後3時55分に死亡が確認された。ホイットニーは、グラミー賞の授賞式を翌日に控え、クライヴ・デイヴィスが主催する恒例の前夜パーティに参加するために、同ホテルに滞在していた。

 2012年3月22日、ロサンゼルス郡検視局は会見を開き、死因は不慮の溺死であり、遺体からコカインが検出されていることから、入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こったため、浴槽に沈んだ可能性が高いという検視結果を発表した。

 2012年2月11日死去(享年48)