マルク=ヴィヴィアン・フォエ

マルク=ヴィヴィアン・フォエ(Marc-Vivien Foe 1975年5月1日生)
 [カメルーン・サッカー選手]



 ポジションはMF。フォエのプロとしてのキャリアは、カメルーンリーグのキャノン・ヤウンデから始まった。1994年のワールドカップ・アメリカ大会にカメルーン代表として出場し世界に存在をアピールしたフォエは、フランスリーグ・ディヴィジョン1のRCランスへ移籍し、1998年にはリーグ優勝を経験している。

 当時マンチェスター・ユナイテッドが彼の獲得に興味を示していたが、フォエは脚の故障に見舞われてしまい移籍は実現せず、ワールドカップ・フランス大会にも出場できなかった。回復後の1999年にイングランド・プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドに移籍した。

 2000年、フォエはオリンピック・リヨンに移籍し、フランスへ復帰。この年マラリアに感染するも回復し、フランスリーグカップを制した。翌シーズンには再びリーグ優勝を果たしている。その後マンチェスター・シティにレンタル移籍し、再びイングランドでプレー。2003年に移転する前のホームスタジアムであったマイン・ロード・スタジアムでの最後のゴールを決めるなど活躍した。

 2003年6月26日、フォエがかつて在籍していたオリンピック・リヨンのホームスタジアムで、FIFAコンフェデレーションズカップ2003準決勝、カメルーン対コロンビア戦の試合が行われた。フォエはこの試合の2、3日ほど前から腹痛や赤痢などを起こすなど体調を崩しており、試合に出られないほどのコンディションだったが、この試合の会場がかつてフォエが所属したことのあるホームタウンのリヨンであったことから、出場を強行した。当時カメルーン代表の監督だったヴィンフリート・シェーファーも、倒れる直前まで交代を呼びかけたが、フォエはその度に断ったという。ハーフタイム中にフォエはチームメイトに対して「この試合は、たとえ死んでも勝たなければならない」と檄を飛ばした。ところが、後半27分(試合開始から72分)、フォエは誰もいないセンターサークル内で、突然意識を失った。医療関係者は、フォエが倒れてからおよそ45分間、心肺蘇生を試みたが、迅速な措置も虚しく、スタジアム内のメディカルセンターで、28歳の若さでこの世を去った。その後、フォエの死因は肥大型心筋症だったことがわかった。

 同日にパリで行われたもう一試合の準決勝、フランス対トルコ戦では、フランス代表のティエリ・アンリがゴールを決めた後にチームメートと共にフォエの死を悼む意味を込めて空を指差した。

 彼の最終所属クラブとなったマンチェスター・シティは彼の死を悼んで彼の背番号23を永久欠番とし、ホームスタジアムにはフォエのメモリアルが作られた。またRCランスは、ホームスタジアム近くの通りの名を彼にちなんだものに改名した。

 2003年6月26日死去(享年28)