リッチー・パウエル

リッチー・パウエル(Richie Powell 本名:リチャード・パウエル 1931年9月5日生)
 [アメリカ・ピアニスト]



 著名なジャズ・ピアニストであるバド・パウエルの弟。1949年から1951年までニューヨークやフィラデルフィアで演奏し、1951年から1952年までポール・ウィリアムズの、1952年から1954年までジョニー・ホッジスの許で活動した。その後はクリフォード・ブラウンマックス・ローチとが率いるクインテットの一員となっている。リッチー・パウエルの名声は、わけても編曲に負っている。ブラウンとローチとの録音に参加したほか、さらにソニー・ロリンズやダイナ・ワシントンともレコードを作っている。

 1956年6月26日、妻ナンシーの運転する車にブラウンと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故死。事故当夜は雨が降っており、ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。

 1956年6月26日死去(享年24)