タカイホーマ

タカイホーマ(1969年3月25日生)
 [競走馬]



 1971年9月の札幌でデビューしたタカイホーマは、2戦目の新馬戦で快勝。東京に戻って特別戦の黄菊賞も勝ち、この年は4戦2勝。関東牝馬クラシック最有力候補に躍り出た。

 だが、ここからタカイホーマに立て続けに不運が訪れる。クイーンカップ勝利の勢いに乗って桜花賞参戦の準備をしていた矢先、突然の体調不良により参戦中止。アチーブスターの優勝タイム1分37秒6は平凡なもので、無事ならば優勝争いは確実と言われた。

 体勢を立て直し、桜花賞と同日開催のカーネーションカップと4歳牝馬特別を勝ち、父が短距離血統のスパニッシュイクスプレスであるにも関わらず、母系血統でスタミナが補われていると見られて1番人気で臨んだオークスも、勝負所の落鉄が響き嶋田功騎乗のタケフブキの強襲に遭い2着に終わった。

 日本短波賞をスガノホマレの3着に惜敗した後、休養に入ったタカイホーマは、休養明けのクイーンステークスを快勝。桜花賞の二の舞を避けるべく早めに関西入りした。関西初戦の京都牝馬特別は4着に敗れたが、調整途中ゆえの結果で織り込み済みと思われた。

 しかし、圧倒的1番人気で臨んだビクトリアカップで最悪の不運が襲い掛かる。向こう正面で他馬と接触により右後肢腱断絶を発症し失速。この時点で馬が停止せず、さらに第3コーナーで左前肢を骨折。鞍上・樋口弘の必死の制御の甲斐無くそのまま走り続け、ついに第4コーナーで右前肢まで骨折し転倒。転倒の弾みでさらに左前肢まで骨折。悪い事に折れた骨が心臓に突き刺さり、出血多量により死亡した。最後方に下がっていたため、他馬を巻き込まなかったのが不幸中の幸いであった。

 実は、ビクトリアカップが4歳牝馬秋の大一番で無ければ参戦中止していた程の脚部に不安を抱えていたという。因みに、京都牝馬特別敗戦も脚部不安が原因だった。

 1972年11月19日死去(享年3)