マックス・ランデー

マックス・ランデー(Max Linder 1883年12月16日生)
 [フランス・俳優/映画監督]



 ジロンド県サン=ルーべ生まれ。1905年、パテ・フレールが製作し、ルイ・ガスニエが監督した短篇コメディ『La premiere sortie d'un collegien』で映画デビュー。1907年、アルベール・カペラニが監督した『お伽の森』に主演したのを機に、マックス・ランデーはたちまち人気者となった。スターとなった彼の当時のギャラはトップクラスであった。1908年には主演作の短篇コメディ『L'obsession de l'equilibre』を演出し、映画監督としてもデビュー、以降、多く自作自演する。1914年、第一次世界大戦に従軍したが身体を壊して除隊、回復後の1917年にはアメリカ合衆国に渡り、エッサネイ・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(エッサネイ・スタジオ)で、短篇コメディ『マックスの渡米』を監督、主演者としてマーサ・マンスフィールドらと共演する。同年、エッサネイで、マーサ・マンスフィールドを相手役に『マックスの離婚』、『マックスの運転手』を発表するが興行的にはあまり成功しなかった。

 1921年、アメリカでマックス・ランデー・プロダクションズを立ち上げ、長篇コメディ『ライオンと征服将軍』、『女房欲しさに』、翌1922年には『三笑士』を製作、いずれも監督・主演している。1923年8月2日、21歳年下のジーン・ピーターズと結婚、翌1924年6月に長女が誕生する。同年、オーストリアのヴィタフィルムが製作した『脱線曲馬王』、アベル・ガンスが自らのプロダクションで製作・監督した『Au secours!』に出演したが、往年の人気を取り戻すことはできなかった。その後は従軍中に受けたとされる精神障害の悪化もあり、1925年10月31日、失意の中パリで妻と共に幼い娘を残してヴェロナール(バルビタール)の大量摂取による心中自殺を遂げた。

 1925年10月31日死去(享年41)