アルフレード・フェラーリ

アルフレード・フェラーリ(Alfredo Ferrari 1932年1月19日生)
 [自動車技術者]



 フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの息子であり、「アルフレディーノ(Alfredino)」および「ディーノ(Dino) 」という愛称で知られる。エンツォと妻ラウラの一人息子として生まれ、アルフレードという名前はエンツォの父親にちなんで命名されたもので、愛称の「アルフレディーノ」はイタリア語で「小さなアルフレード」という意味がある。

 モデナの工業高校を卒業してからボローニャの大学で自動車工学を学び、フェラーリに入社した。フェラーリ製高級スポーツカーの代名詞といえばV12エンジンであったが、アルフレードは将来的には小型自動車を作るようになるべきだという考えから、小型車向けのV6エンジンに取り組んだ。ランチアから移籍してきたヴィットリオ・ヤーノとともに、F2レース用にバンク角65度の1.5リッターV6エンジンを開発したが、完成を見ることなく、筋ジストロフィーにより24歳という若さでこの世を去った。

 跡継ぎとして期待したアルフレードの死はエンツォを大いに悲しませ、晩年まで愛息の墓参りを日課にしていたという。F1サンマリノグランプリの舞台だったイモラ・サーキットの正式名称は、かつては「アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ(Autodromo Dino Ferrari)」であり、エンツォの死後「アウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(Autodromo Enzo e Dino Ferrari)」へ改称された。

 アルフレードの小型車向けのエンジンを開発するという思想はその後のフェラーリに影響を与え、彼が開発に携わったV6エンジンは「ディーノV6」として知られることになる。1957年の156F2に搭載されたのち、F1でも2.5リッターに拡大して246F1に搭載され、1958年のドライバーズチャンピオン(マイク・ホーソーン)を獲得した。1961年にF1用エンジンが1.5リッターに縮小されると、フェラーリは156F2を基にした156F1を投入し、8戦中5勝という成績で選手権を支配した。

 1956年6月30日死去(享年24)