エベン・バイヤーズ

エベン・バイヤーズ(Eben Byers 1880年4月12日生)
 [アメリカ・実業家/ゴルファー]



 ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。イェール大学卒業。父はジラールアイアン鉄鋼会社を創業し、成功を収め「鋼鉄王」と称された。やがてエベン・バイヤーズはジラールアイアン社の会長に就任した。バイヤーズは実業家の他にゴルファーとしても活動しており、1906年の全米アマチュアゴルフ選手権を優勝したほどの腕前であった。

 1927年、列車の寝台から落下して腕を打撲し、痛みがいつまでも引かないことを医師に訴えると、「Radithor(レディトー)」というドリンク剤を薦められた。レディトーには、ラジウム226とラジウム228が1本あたり37000ベクレルずつ含有されていた。当時は、放射性物質の健康増進効果を盲信して、十分な立証もないまま、多くの医者や企業が放射性物質を使ったまがい物の治療法や薬を、特効薬として処方・販売した。ラジウム入りドリンク剤の他に、ラジウム入りトニックウォーター、ラジウム入り歯磨き粉、ラジウムを使った浣腸などが販売されていた。

 放射線の効果を信じ込んだバイヤーズはレディトーの服用を続け、2年間でその本数は1400本近くにも達した。1930年になると多くの放射性物質服用者の死亡や障害が明らかになり、バイヤーズは服用を止めたが、この時点ですでに大量のラジウムが体内に蓄積しており、その影響で顎の骨は壊死して脱落し、脳は腫瘍に犯され、頭蓋骨は穴だらけになっていたという。

 バイヤーズは激痛の中で苦しみ抜いた末、1932年3月31日に帰らぬ人となった。鉛でコーティングされた棺桶で葬られたという。

 1932年3月31日死去(享年51)