ファーディナンド

ファーディナンド(Ferdinand 1983年生)
 [アメリカ・競走馬]



 1985年9月にデビューしたファーディナンドは4戦目で勝ち上がると、5戦目にG1のハリウッドフューチュリティへ出走する。だがライバルの一頭となるスノーチーフの圧倒的なパフォーマンスの前に3着に敗れ、2歳シーズンを終えた。3歳になったファーディナンドは、準重賞のサンタカリナステークスを制すると、サンタアニタダービーでふたたびスノーチーフと対峙するが、またしても圧倒的な逃げ切りの前に3着に敗れる。

 ここまでデビュー戦をのぞいてすべて3着以内に入っていたファーディナンドだったが、重賞は未勝利であり、ケンタッキーダービーでは9番人気の低評価であった。だが、1番人気のスノーチーフが直線で失速するのを尻目に内から力強く抜け出して優勝する。プリークネスステークスは2着、ベルモントステークスは3着だったが、年末のマリブステークスでスノーチーフを下して3歳シーズンを締めくくった。

 4歳時はチャールズ・H・ストラブステークス、サンタアニタハンデキャップでブロードブラッシュ、スノーチーフと猛烈な叩き合いを演じるがいずれも2着に敗れる。さらにサンルイレイステークス、ジョンヘンリーハンデキャップ、カリフォルニアンステークスでも敗れてG1競走6連敗を喫するが、ハリウッドゴールドカップでジャッジアンジェルーチを下して勝利すると勢いに乗り、3連勝でブリーダーズカップ・クラシックを迎えた。ブリーダーズカップ・クラシックではこの年のケンタッキーダービー馬、アリシーバとのダービー馬対決が焦点となった。直線でジェッジアンジェルーチにファーディナンドが襲い掛かり、さらにアリシーバが続く展開になった。ゴール前では必死に逃げるファーディナンド、追い詰めるアリシーバという構図になり、ファーディナンドがわずかにハナ差凌ぎきった。この勝利によって、年度代表馬、古牡馬チャンピオンの座を確定させた。

 翌5歳時も現役を続けたファーディナンドだったが6戦して未勝利に終わり、10月のグッドウッドハンデキャップを最後に引退した。デビュー戦以外はすべて5着以内に入る、安定した成績を収めた。

 競走馬引退後はアメリカで種牡馬となり、1994年に日本へ輸出されたが、日本での種牡馬成績は思わしくなく2002年9月に廃用となった。2003年夏、日本在住のアメリカ人ジャーナリストであるバーバラ・バイヤーが、ファーディナンドの生産者兼馬主であったケック家が同馬の消息を捜している事実を知ったことをきっかけに同馬に関する調査に着手し、同馬が2002年後半に屠殺処分された可能性がきわめて高いという結論に至った。おそらく人間の消費のためのステーキまたはペットフードになったと思われる。

 2002年?月?日死去(享年19)