ジャン・アラン

ジャン・アラン(Jehan Alain 1911年2月3日生)
 [フランス・オルガニスト/作曲家]



 サン=ジェルマン=アン=レー出身。音楽家の家庭に生まれ、教会オルガニストをしていた父親からオルガン演奏の手ほどきを受ける。1927年から1939年までパリ音楽院に在籍し、アンドレ・ブロックの和声法とジョルジュ・コサードのフーガのクラスでそれぞれ首席となる。オルガンはマルセル・デュプレに師事し、その指導のもとに1939年にはオルガン演奏と即興演奏でも首席に輝く。ポール・デュカスとジャン・ロジェ=デュカスに作曲を師事、1936年に《オルガン組曲》作品48によって「オルガン楽友賞」に入賞している。

 作曲家としての短い生涯は1929年、18歳のときに始まり、第二次世界大戦勃発までの10年間しか続かなかった。アランの作品は、同時代のクロード・ドビュッシーやオリヴィエ・メシアンの音楽語法だけでなく、東洋の音楽や舞踊・哲学への興味、ルネサンス音楽やバロック音楽といった古楽への関心、ジャズの流行に影響されている。

 アランは1935年に結婚して3人の子を儲けた。いつも機械に興味をもっていたアランは、オートバイを乗り回しており、第8機甲師団にバイク伝令として配属された。1940年6月20日にソミュール東部戦線でドイツの先遣部隊を偵察中に、ル・プティ=ピュイでナチス・ドイツ軍の一団に出くわした。アランは降伏を拒否して攻撃し、殺害された。

 1940年6月20日死去(享年29)