ガリー・スピード

ガリー・アンドリュー・スピード(Gary Andrew Speed 1969年9月8日生)
 [イギリス・サッカー選手/指導者]



 ウェールズ北東部マンコット出身。1988年、イングランド・プレミアリーグのリーズでデビューして以降、中盤で様々なポジションをこなせる選手として活躍し、エヴァートン、ニューカッスル、ボルトンなどでプレー。リーズ時代の1991~1992シーズンにはリーグ優勝に貢献した。ウェールズ代表にも選ばれ、1990~2004年の間に85試合に出場し、うち44試合で主将を務め、チームを牽引した。

 2010年に引退後、シェフィールド・ユナイテッドでコーチを務めた。2010~2011シーズン途中にはケヴィン・ブラックウェル監督が解雇されたため、3年契約で後任監督に就任した。2010年12月24日、シェフィールド・ユナイテッド監督を任期途中で退任し、ウェールズ代表監督に就任した。

 2011年11月27日、イングランド北西部のチェシャーの自宅でテレビアンテナのケーブルをガレージの階段の手すりにかけて首をつっている状態で発見された。2012年1月、ウォリントンで行われた検視法廷において死因は首つりによるものと断定されたものの、検視官は「意図的なのか偶然なのかを判断するのに十分な証拠がない」とし、ガリー・スピードが首にケーブルを巻きつけた状態で自宅のガレージの階段に座って「うとうとした」のではないかとコメントした。同法廷では妻のルイーズが、死去の4日前に携帯電話のテキストメッセージでガリー・スピードが自ら命を絶つと話題にしたものの、その後思いとどまったと語った上で、死の前日の11月26日に2人でディナーパーティーから帰宅した際に夫婦間で口論があり、その後頭を冷やそうと1人でドライブに出かけたルイーズは深夜1時半頃に家に入ろうとしたら入れなかったと説明した。帰宅した際に家の中に入ることができず、ガリー・スピードとも連絡が付かなかったため、車の中で一夜を過ごし、翌朝(27日)午前6時に目を覚ましたルイーズはガレージの窓からスピードの姿を発見し通報した、と証言した。またウェールズ代表のチームドクターは、スピードにストレスや鬱の兆候はなかったと審問で証言、2010年までスピードが監督を務めたシェフィールド・ユナイテッドの医療スタッフも、指揮を執っていた間に精神的な問題はなかったとしている。

 スピードが指揮するウェールズ代表は5試合中4試合で勝利を収め、彼の就任時には100位以下だったFIFAランキングでも45位までポジションを上げていた。自殺した前日には、テレビ番組に出演してウェールズ代表チームが順調に仕上がっていることを強調し、ユーロ2012の直後にスタートするワールドカップ予選に向けた抱負を語っていた。自殺につながるような陰りはみられず、あまりに突然のスピードの訃報はサッカー界に大きな衝撃を与えた。

 2011年11月27日死去(享年42)