岸田森

岸田森(きしだしん 1939年10月17日生)
 [俳優/劇作家]



 東京生まれ。法政大学英文科へ入学するが、2年生の時に俳優の道を志し、中退。1960年、文学座附属演劇研究所に研究生として入団。同期には悠木千帆(樹木希林)、草野大悟、寺田農、小川真由美らがいた。1964年、悠木(樹木)と結婚。1965年、文学座座員に昇格。1966年、文学座を退団し、妻である悠木や村松克己、草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成。以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。1968年、悠木と離婚後、バーのマダムと再婚するが再び離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。

 1971年、東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズは代表作となった。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。1973年、円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇『無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演した。

 1977年、『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)で屈折した画家像を演じ、カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。他に、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天』が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィの中で異彩を放っている。

 1980年頃から度々体調が悪化するが、メイクで顔色の悪さを誤魔化していたという。1982年12月28日午前4時59分、食道ガンのため、43歳の若さで死去。岸田の入院報道は徹底的に規制され、新聞やテレビの報道で死去を知った人も多かった。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。訃報から間もない頃、前年出演したテレビ作品『太陽戦隊サンバルカン』(東映)の再放送が関東地方で始まり、第1話の岸田初登場シーンでは追悼テロップが流れた。葬儀の際に、岸田を弟のように可愛がっていた若山富三郎は弔辞の中で「こんな事になるんだったら、お前を殴ってでも絶交してでも酒を辞めさせるべきだった」と後悔のコメントを残した。葬儀では三田和代が遺影を持ち挨拶した。

 1982年12月28日死去(享年43)