ゴーフォーワンド

ゴーフォーワンド(Go for Wand 1987年4月6日生)
 [アメリカ・競走馬]



 デビュー戦を4馬身差で楽勝すると続くアローワンスを18と4分の1馬身差の大圧勝で一気に注目を集める。しかし、G1初挑戦となったフリゼットステークスは僅差で惜敗してしまった。だが、次走のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズではきっちり巻き返し、その年の2歳牝馬チャンピオンに選ばれた。

 3歳初戦のボーモントステークス、続くアッシュランドステークスを共に圧勝しケンタッキーオークスの最有力候補として本番に挑む。が、シーサイドアトラクションに3馬身離された2着と惨敗してしまう。しかしそこからゴーフォーワンドは復活し、G1を5連勝し再びその強さをアメリカのホースマンに見せ付けた。

 こうして迎えた1990年ブリーダーズカップ・ディスタフでは前年覇者のバヤコアを差し置いて堂々の1番人気に推される。レースはバヤコアとの一騎打ちになったが、最後の直線残り100メートル付近で故障を発生し前のめりに転倒した。

 立ち上がったゴーフォーワンドは粉砕骨折した右前脚を浮かせた3本脚の状態で錯乱しながら走り出したが、やがて係員に取り押さえられ場内がどよめく中、その場で安楽死の措置がとられた。

 ラストランであったブリーダーズカップ・ディスタフをのぞけば生涯の連対率は100パーセントという安定感を誇り、ラフィアンの再来と言われた。生涯成績13戦10勝。奇しくもラフィアンと同じような末路を辿ってしまう事になった(両馬ともベルモントパーク競馬場で故障した)。このレースはブリーダーズカップ史上最大の悲劇として今でも語り継がれている。その年、ゴーフォーワンドは3歳牝馬チャンピオンに選ばれた。

 本馬を記念して、アメリカのサラトガ競馬場でゴーフォーワンドハンデキャップというG2競走が行われている。1996年アメリカ競馬の殿堂入り。

 1990年10月27日死去(享年3)