サチカゼ

サチカゼ(1956年2月16日生)
 [競走馬]



 2歳にして500キロを超える当時としては破格の大型馬だったサチカゼは、巨漢馬にも関わらず仕上がりは早く8月にデビュー。早くも2戦目に勝ち上がると、2度の惜敗の後4連勝を果たし、更に休み明けも勝ちクラシックロードに乗った。ところが、この5連勝以降は器用さの無さが露呈し重賞戦線では惨敗続き。最大目標だったダービーも、不良馬場に祟られ勝ち馬・コマツヒカリから離れた22着惨敗に終わっている。

 その後も、先行粘り込みしか出来ない脚質故に、レベルの低いオープン戦以外では勝ち負け出来ない日々が続いた。だからと言って単なる早熟の大型馬だった訳で無く、今は亡き東京3200メートルで開催された天皇賞こそブービー惨敗したものの、4歳時は適距離の新設重賞・宝塚記念を含む5連続2着惜敗等と大負けは少なく、『不沈艦』の異名を持つ程の丈夫さも有り、ある意味馬主孝行な馬であった。

 この様に、丈夫さだけが取り柄のサチカゼであったが、5歳春から本格化したのか快進撃をする。6月のオープン戦から休養を挟んで3連勝。しかも、連勝前の安田記念では中央のエース・ホマレボシを相手にしての僅差の2着。この快進撃が決め手となり、前年10着惨敗に終わった天皇賞(秋)への挑戦が決定したのである。

 この年の天皇賞は7頭立ての少頭数とは言え、1番人気のホマレボシに地方出身のオンスロート・タカマガハラが挑み、それに関西からはエース格のコダマこそ長期休養中で不在であるが、宝塚記念馬シーザーが花を添えると言う豪華さであった。第3コーナー手前からスタートしたレースは快速が売りのハローモアが先手を取り、地方の雄・オンスロートが2番手追走。 サチカゼはその直後をシーザーと共に追走する形となった。 後ろは、順にオンワードベル・タカマガハラ・ホマレボシ。レースが動いたのは再び第3コーナーに戻って来た刹那、満を持して仕掛けたオンスロートが逃げるハローモアに並び掛ける。それに呼応し、シーザー・オンワードベル・タカマガハラが追撃開始。サチカゼはこのペースアップに付いて行けず、次第に遅れ始める。ハローモアを交わし直線手前で先頭に躍り出たオンスロートは逃げ込みを図る。この時点で2番手に居たシーザーは、ジリ脚が災いし追撃はおろか待機策のタカマガハラに交わされてしまう。地方競馬出身の両雄のマッチレースは、地方時代一度も勝てなかったタカマガハラが半馬身差で制し地方馬ワンツー。その後を中央組のホマレボシ・シーザーが順当に3・4着。サチカゼは6着入線したオンワードベルから更に遅れ大差でゴールに辿り着いた。

 事件はその直後に起こった。ゴール直後、止まったサチカゼの巨体が崩れる様に前のめりに倒れたのである。ゴール手前で異常に気付いた伊藤竹男騎手はあわてて飛び降り駆けつけるものの、2・3度の痙攣を最後に動く事は無く事切れた。中央競馬会からの正式発表によると、死因は『急性の心臓麻痺』。丈夫な体が引き起こした『過労死』であった。


 ちなみに、『直線に入ったところで心臓が止まっていたが、凄い力で振り切って走り続けた』と言う話があるが、新聞社側の手によって拡張されたものである。

 1961年11月23日死去(享年5)