高井幾次郎

高井幾次郎(たかいいくじろう 1947年2月16日生)
 [オートバイレーサー]



 愛知県出身。1966年、19歳からロードレースを始め、1971年には全日本ロードレース選手権のセニア90ccクラスとセニア250ccクラスでランキング2位となる。1973年にヤマハと契約。身長160cmと小柄ながら500ccや750ccの大排気量マシンも自在に乗りこなし、1974年と1976年には750ccクラスの全日本タイトルを獲得。リトルジャイアント(小さな巨人)のニックネームで呼ばれた。実戦テストを兼ねて出場した1975年の世界グランプリ開幕戦フランスGPではグランプリ初出場ながら250ccクラスで2位表彰台に上る活躍を見せ、また同年にオープンしたスポーツランドSUGOで開催された全日本選手権ではYZR750で全19台中16台を周回遅れにする圧倒的な速さを見せた。

 高井がヤマハワークス入りした1973年は、ヤマハが世界グランプリにおけるワークス活動を本格的に再開してYZR500をデビューさせた年であり、高井はワークスマシンの開発ライダーとしても高い評価を得ていた。中でも1978年から3年連続ワールドチャンピオンとなったケニー・ロバーツのYZR500の熟成には大きく貢献しており、ロバーツ本人も高井が開発したマシンには多大な信頼を寄せていた。マシン開発の比重が大きくなるにつれて実戦には年間を通じて出場することがなくなったためにランキングなどでは目立った成績を残すことはなかったが、出場したレースではレーシングライダーとしての実力を発揮し、1981年には鈴鹿サーキットで2分13秒65という当時としては飛び抜けたコースレコードを記録した。その一方で、レザースーツなどのライディングギアのメーカーであるプロショップ高井を設立している。

 しかし1982年5月、スポーツランドSUGOでV4エンジンを積んだ新型YZR500(OW61)のテスト中に1コーナーで転倒。頚椎骨折の重傷を負った高井は救急車で搬送されたが、病院に着く前に息を引き取った。

 1982年5月12日死去(享年35)