ホセ・フェルナンデス

ホセ・フェルナンデス(Jose D. Fernandez 1992年7月31日生)
 [キューバ・プロ野球選手]



 キューバのビジャ・クララ州サンタ・クララで生まれ育った。少年野球チームに所属し、メジャーリーグの選手になる夢を持つ。アメリカ合衆国への亡命に2005年から3度失敗。刑務所に服役した。2008年に母親、妹と共にボートでキューバから4度目の逃亡を試みた。しかし途中、荒波に母親がさらわれて海に落ち、当時15歳のフェルナンデスは海に飛び込み母親を救出した。その後、メキシコを経由してアメリカ合衆国に亡命を果たす。フロリダ州タンパにある高校に入学し、3度のノーヒットノーランを記録した。

 2011年のMLBドラフトでマイアミ・マーリンズからドラフト1巡目(全体14位)で指名され入団。順調にマイナーリーグを駆け上がる。2012年にはオールスター・フューチャーズゲームにも出場した。ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキング2013年版では、メジャー全体で5位にランクされた。2013年4月7日、ニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビューを果たし、5回を1四球、8奪三振、1失点で勝敗はつかなかった。5月4日、フィラデルフィア・フィリーズ戦で7回を1四球、9奪三振、無失点でプロ初勝利を記録した。同年7月16日、MLBオールスターゲームにも選ばれ、ナショナル・リーグの5番手として登板。ダスティン・ペドロイアを見逃し三振、昨年の三冠王ミゲル・カブレラを内野フライ、オールスター時ホームラン数トップのクリス・デービスを空振り三振に切り、1イニングを無失点に抑えた。同年シーズンは防御率2.19・12勝・WHIP0.98を記録し、11月11日に、ナショナルリーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ナショナルリーグのサイ・ヤング賞の投票ではクレイトン・カーショウ、アダム・ウェインライトに次ぐ3位になった。

 2014年5月16日、トミー・ジョン手術を受け、2014年の残りのシーズンを欠場することが決まった。そのため、この年は8試合の先発登板に留まったが、投げた試合では総じて支配的なピッチングを見せており、防御率2.44・4勝2敗・WHIP0.95・奪三振率12.2という好成績を残した。2015年、アメリカ合衆国の市民権を取得。肘靭帯の再建手術からの復活を果たした同年は、11試合に先発登板。メジャーデビューから3年連続3.00未満&勝ち越しとなる防御率2.92・6勝1敗・WHIP1.16という素晴らしい数字を残した。また、64.2イニングで79三振を奪い、奪三振率は3年連続で9.0を超える圧倒的な三振奪取能力を見せつけた。

 2016年は前半戦から優れた成績を挙げ、オールスターゲームに選出された。9月20日のワシントン・ナショナルズ戦に登板して8回を12奪三振、無四球、無失点に抑えて勝ち投手となり、試合後に「これまでで最高の出来だった」とコメントした。同年シーズンは防御率2.86・16勝・253奪三振を挙げる活躍を見せていたが、9月25日未明にマイアミビーチ付近で発生したボート事故により死去。午前3時すぎに沿岸警備隊が岩礁に乗り上げて転覆した高速ボートを発見。現場の状況からフルスピードで岩に激突したとみられている。フェルナンデスは頭部と胴体を打ち、頭とあごの骨を折って死亡しているのが見つかった。同乗していた友人男性2人の遺体も発見された(水上に2人、ボート下に1人)。趣味は海での魚釣りで、フェルナンデスのインスタグラムには友人や家族と魚釣りを楽しむ様子の写真が度々投稿されていた。当初、フロリダ州魚類野生生物保護当局は、薬物やアルコールを使用した形跡はなかったと発表したが、その後の検視結果で遺体からアルコールが検出されたことが分かった。友人のうち1人からはコカインも検出された。

 マーリンズは当日の試合の中止を発表。他の14試合が行われた球場では黙祷が捧げられた。フェルナンデスはガールフレンドが妊娠中であり、子どもの誕生を待つ身であった。会見したサムソン球団社長は、「彼の家族と、もうすぐ産まれる娘のために祈りをささげたい。キューバからの亡命に3回失敗しても諦めず、野球への愛と情熱にあふれていた」と話した。翌26日のニューヨーク・メッツ戦ではマーリンズの選手全員がフェルナンデスの背番号16をつけてプレーした。なお、マーリンズはその死を悼んで、フェルナンデスの背番号『16』をマイアミ・マーリンズに所属していた選手として初の永久欠番に指定することとなった。10月2日、フェルナンデスの遺灰は家族によりマイアミの海にまかれた。フェルナンデスは海とマイアミの街を愛していた。10月21日、マイアミ・ヘラルド紙はフェルナンデスの母親から届いた長文のメッセージを公開した。球団関係者、チームメイト、代理人への深い感謝にとどまらず、自治体・コミュニティ、警察関係者、葬儀に尽力した人々、霊柩車の通る沿道に集まった人、花を贈った人、一家をサポートした人、フェルナンデスを愛したすべての人に感謝する内容で、最後に天国にいる息子への言葉で締めくくられている。

 2016年9月25日死去(享年24)