エガオヲミセテ

エガオヲミセテ(1995年5月27日生)
 [競走馬]



 命名は「オレハマッテルゼ」「モチ」などの珍名馬を所有している小田切有一で、JRA所属の競走馬として初めて、名前に「ヲ」の文字を使った馬である。

 栗東の音無秀孝厩舎へ入厩。1997年11月2日、京都競馬場での芝1400mの新馬戦でデビュー。名牝ダイナカールの孫で叔母はエアグルーヴ、そして父はサンデーサイレンスという血統から1番人気に支持されるが、18頭中15着と期待を大きく裏切ってしまった。しかし3週間後の新馬戦で、後にフラワーカップを勝つスギノキューティーらを相手に1着となり、素質の片鱗を見せた。

 明けて1998年、阪神の忘れな草賞では9着に敗れたが、続く東京のスイートピーステークスに勝ち、優駿牝馬(オークス)の優先出走権を獲得した。5月31日に行われた第59回優駿牝馬では、直前に負った外傷のため十分に調整ができず、馬体重は前走から18kg増えており、また、2400mという距離や、逃げたロンドンブリッジの1000m通過62秒8という超スローペースにも惑わされたのか、結果は15着と惨敗に終わった。続いて1ヶ月後、マーメイドステークスに4歳馬でただ1頭出走し古馬と対戦。0秒2差でランフォザドリームの3着と健闘した。その後は秋競馬に向けて休養に入ったが調整が思うようにいかず、トライアルを使わずに秋華賞へ直行することとなった。

 10月25日第3回秋華賞に出走。スタートから前につけて積極策に出たが、直線でかわされてファレノプシスの4着に敗れた。そして第23回エリザベス女王杯にも出走したが、メジロドーベルの8着であった。12月20日、阪神牝馬特別では出走13頭中6番人気とあまり評価は高くなかったが、桜花賞優勝馬キョウエイマーチ、優駿牝馬優勝馬エリモエクセルらを相手に直線で抜け出し、2馬身差で重賞初勝利を飾った。

 1999年、休養をはさまずに京都牝馬特別に出走し、8着に終わる。続いて3月7日のマイラーズカップに出走すると、スタートから好位置につけ、逃げたキョウエイマーチを直線でかわして重賞2勝目。ファレノプシスやマチカネフクキタル、アインブライドといったGI馬4頭を退けての勝利だった。その後京王杯スプリングカップと安田記念に出走したが、それぞれ8着と6着。さらに前年に続いてマーメイドステークスに出走する。安田記念から中1週であったが、エリモエクセルの3着と善戦した。

 秋は朝日チャレンジカップから始動して5着。続く府中牝馬ステークスでは1番人気に推され、道中2番手につけて重賞3勝目を狙うも、エリモエクセルにかわされ2着となった。その後エリザベス女王杯に出走すると、距離適性が疑問視されたが、メジロドーベルの3着に粘った。距離1600mの阪神牝馬特別では再び1番人気に推されたが、直線で次々とかわされ9着に終わった。そして年が明けて2000年1月30日に出走した東京新聞杯でも直線で伸びず、14着と大敗した。

 その後復活を期して放牧に出されたが、放牧先で悲劇が起こる。2000年2月11日午前1時ごろ、宮城県山元町の社台レースホース山元トレーニングセンター内の厩舎から出火し750平方メートル(40馬房)を全焼した。発見されたときにはすでに火が回っており初期消火ができる状態ではなく、中にいた30頭の馬のうち救出できたのは8頭だけで、22頭は焼死。エガオヲミセテもその中の1頭であった。焼失したのは火元の厩舎1棟のみで、隣の厩舎にいた共同通信杯4歳ステークスを勝ったイーグルカフェや、4歳牝馬特別を勝ったフサイチエアデールなどは難を逃れた。

 原因は漏電と見られており、被害総額は数十億円規模のものという。エガオヲミセテはその馬名とここぞの重賞を勝つ走りからファンも多く、オークス馬ダイナカールの孫ということで、引退後の繁殖にも大きな期待が掛けられていただけに、ファン、関係者のショックも大きなものがあった。

 火災直後も音無は小田切から所有馬を預託されており、その中の一頭に『ゲンキヲダシテ』がいる。事故から6年後、2006年にエガオヲミセテの全弟であるオレハマッテルゼが高松宮記念を制し、姉の届かなかったGIタイトルを手にした。

 2000年2月11日死去(享年4)