ビクトル・ツォイ

ヴィクトル・ロベルトヴィッチ・ツォイ(Viktor Robertovich Tsoi 1962年6月21日生)
 [ソ連・歌手/俳優]



 ソビエト社会主義共和国カザフスタンのクズロルダ出身の朝鮮人エンジニアの父と、レニングラード出身のロシア人教師の母を両親の間に生まれる。ツォイは1974年から2つの美術学校に通ったが、1979年に成績不振で放校になっている。その後入学したSGPTU-61で木工職人の技術を習得し卒業した。

 17歳から作詞を始め、音楽活動を開始。1982年にロックバンド「キノー」を結成しアンダーグラウンドで活動。ソ連唯一のレコード会社「メロディヤ」との契約が無かったため非公式、未検閲での活動であったがリリースする作品は大ヒットとなり、他国の慈善企画などにも招待される。

 1985年、妻・マリアナとの間に息子のアレクサンドルが誕生。マリアナによると生活は苦しく、ツォイ一家はボイラー室に住み、ウエディングドレスを買う余裕もなかったという。一家が住んでいたボイラー室は「カムチャツカ」と名付けられ、聖地化している。

 1987年に映画『ASSA』に本人役でカメオ出演、1988年には映画『針』で主演を務め、このころからキノーの人気が過熱していく。1988年のアルバム「ブラッド・タイプ」でその人気は頂点に達し、全国的に一世を風靡したキノーは1980年代のソ連の若者の心を捕えた。

 1990年6月、長期に渡った演奏旅行の後、フランスでレコーディングする前に短期間活動を休止した。しかし、ツォイは8月15日に釣りから帰る途中、トゥクムスにて自動車事故によって急逝してしまった。車を運転中におそらく居眠りをして対向車線にはみ出しバスと衝突したとみられている。彼の死はソ連社会に衝撃を与え、ファンの後追いとみられる自殺者も出した。

 モスクワ市内の歩行者天国、アルバート通りには「ツォイ・ウォール」と呼ばれるツォイを称える落書きで埋め尽くされた壁が現存するほか、サンクトペテルブルク、ハバロフスク、ドニプロ、セヴァストポリにも同様の壁が存在する。

 1990年8月15日死去(享年28)