ボリス・バルネット

ボリス・バルネット(Boris Barnet 本名:ボリス・ヴァシリェヴィッチ・バルニェット 1902年6月18日生)
 [ソビエト連邦・映画監督/俳優]



 モスクワ生まれ。モスクワ美術大学の学生となり、16歳となった1918年ころ、赤軍に加盟し、専門的にボクシングを身に着けた。内戦終了後、プロボクサーとして活躍しているところをレフ・クレショフ監督に誘われて映画界に入り、クレショフが監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924年)に出演した。1927年には、フョードル・オツェプの共同監督として、『ミス・メンド』を初めて監督した。同年、『帽子箱を持った少女』を単独で監督した。1963年に発表された『ちいさな駅』が最後の監督作となった。その後は沈黙し、アルコール中毒となった。

 1965年1月8日、ラトビアのリガのホテルで首を吊って自殺した。父ボリスの没後、娘のオルガ・バルネットはモスクワ芸術座の女優となった。

 1965年1月8日死去(享年62)