弓削太郎

弓削太郎(ゆげたろう 1923年生)
 [映画監督]



  1923年、東京生まれ。中央大学法科を卒業後、1947年大映東京撮影所に助監督として入社、市川崑などに師事した。1960年、「女は抵抗する」で監督としてデビュー。以後大映で多くのプログラムピクチャーを演出した。1963年の「黒の商標」「黒の駐車場」などの黒シリーズ、1967年の「女賭博師」「女賭場荒し」などの女賭博師シリーズをそつなくこなし、1969年の「昭和あんな仁義」「与太郎戦記」「いそぎんちゃく」などでピークをつくった。

 1971年の大映倒産後は焼肉屋を始めたが、わずか1ヶ月で失敗。1972年5月18日から消息が途絶え、翌1973年5月20日、長野県北佐久郡軽井沢町千ヶ滝の山林内で、ミイラ化した変死体として発見された。所持品の日記に、1972年5月18日付で「死ぬ」という記述があったことから、死因は首吊り自殺と推定されている(服毒自殺説あり)。

 1972年5月18日死去(享年49)