トニー・コニグリアロ

トニー・コニグリアロ(Tony Conigliaro 本名:アンソニー・リチャード・コニグリアロ 1945年1月7日生)
 [アメリカ・メジャーリーガー]



 マサチューセッツ州出身。1964年、19歳でボストン・レッドソックスでメジャーデビューし、打率.290、24本塁打、52打点を記録。しかし8月に腕を骨折したため、新人王はミネソタ・ツインズのトニー・オリバに奪われた。

 2年目の1965年には32本塁打を記録し史上最年少の20歳で本塁打王に輝く。1967年にはオールスターに選ばれ、アメリカンリーグ史上最年少の22歳で通算100本塁打を達成した。しかし8月18日の試合で左目の下に死球を受けほお骨を粉砕骨折。網膜も損傷し左目の視力が著しく低下した。翌1968年はシーズンを棒に振ってしまう。

 再起不能かと思われたが1969年に奇跡的に復帰し、141試合で20本塁打、82打点を記録しカムバック賞を受賞。1970年には自己最高の36本塁打、116打点を記録した。1971年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍したが、後遺症による極度のスランプに陥り、74試合で打率.222、4本塁打、15打点に終わり、7月11日に26歳で引退した。1975年にレッドソックスでメジャーに復帰したが、21試合の出場で打率.123、2本塁打にとどまり再引退した。

 1982年1月3日、37歳の時に突然心臓麻痺を起こして昏睡状態に陥った。この病気と現役中の怪我は直接の関係はないと考えられている。一命はとりとめたものの、低酸素状態にともなう脳の損傷のため発話や意思疎通が不可能な状態となり、以後は家族らに介護されて過ごした。コニグリアロの下には多くの応援の手紙が届いたが、状態が上向くことはなく、8年後の1990年2月24日に45歳で死去した。そのシーズン、レッドソックスの選手はユニフォームに黒い喪章を付けてプレーした。


 1990年に彼の功績をたたえ、難病や逆境を克服した選手に贈られる「トニー・コニグリアロ賞」が制定された。

 1990年2月24日死去(享年45)