中野雅晴

中野雅晴(なかのまさはる 1949年3月9日生)
 [レーシングドライバー]



 東京都出身。1967年5月に船橋サーキットでスバル360でレースデビュー、その後トヨタ・モータースポーツクラブ(TMSC)に入会する。トヨタのツーリングカーで活躍し、1971年にTMSCを離れ、プライベート・ドライバーとしてFL500で活躍。

 1973年に田中弘率いるヒーローズレーシングの富士GC、FJ1300のドライバーに抜擢され、3月18日の富士300キロスピードレースで2位に入るが、11月23日の富士マスターズ250キロの決勝でスタート直後に悲劇が起こる。前方でクラッシュ発生し、後方は大混乱。次々とマシンが衝突し、完全に横向きとなった中野のマシンは前部からガードレールに激突、燃料満載だった中野のマシンは物凄い爆発音を上げて炎上し、焼死した。この炎に他3台が巻き込まれ、連鎖反応のように次々と炎上し、巨大な火の塊と化しながらバンクを滑り落ちていった。

 中野のマシンは火の勢いが激しく消防隊が近寄る事すら出来ず、ステアリングを握ったままの形で、姿は見えるのだが成す術がなかった。結果、鎮火まで火は消されず黒煙はレース中上がり、マシンはその黒煙の中を通過するという異様な光景を呈した。 

 1973年11月23日死去(享年24)