福原吉春

福原吉春(ふくはらよしはる 1942年2月10日生)
 [アルペンスキー選手]



 北海道で鉄工所を営む家の7人兄弟の6番目として生まれる。小学校入学前からスキーを始め、小学3年時にはすでにアルペンレースに出場していた。地元の中学を卒業後、倶知安農業高等学校へ進学。リフトの無いスロープをひたすら脚で登っては滑るを繰り返して技を磨いた。高校での成績が評価されスキーの名門である明治大学へ進学。大学3年時に全日本選手権を制し、その年の第9回冬季オリンピックインスブルック大会への切符を手に入れた。インスブルックでは回転と大回転に出場し、回転23位は日本人出場5選手中最高位であった。大学卒業後、グルノーブルオリンピックを目標に、スポーツウェアメーカーのゴールドウィンへ就職した。1966年、自身2回目の全日本2冠を達成。意気込んで臨んだ1968年のグルノーブルオリンピックだったが、滑降、大回転で50位代。得意の回転では失格という結果に終わった。

 グルノーブルの敗北を機に会社を退職し、プロスキーヤーの道を選択したが、1975年10月3日、新潟県妙高市赤倉の福原プロスキー学校2階にてガス自殺を遂げた。知人の借金の肩代わりやスキー学校の経営難を苦にした自殺だったという。

 1975年10月3日死去(享年33)