ジェシ・エド・デイヴィス

ジェシ・エド・デイヴィス(Jesse Ed Davis 1944年9月21日生)
 [アメリカ・ギタリスト]



 オクラホマ州ノーマン生まれ。コマンチ族の父とカイオワ族の母を持つ、生粋のインディアン。音楽好きの両親の影響で、3歳の頃にピアノ、6歳の頃にヴァイオリンを始める。少年時代、エルヴィス・プレスリーやジミー・リード等に影響を受け、本格的にギターを始める。ロサンゼルスに出向き、リヴォン・ヘルムやレオン・ラッセルと、短期間バンドを組む。1966年頃、タジ・マハールに認められ、彼のバンド、ライジング・サンに参加。また、ジョン・リー・フッカーの『ライヴ・アット・カフェ・ゴーゴー』(1967年)にも参加。1968年、ローリング・ストーンズ主宰のイベント「ロックン・ロール・サーカス」に参加するため、タジと共に渡英。エリック・クラプトンやジョージ・ハリスン等、イギリスのミュージシャンと交流を深める。

 1970年、エリック・クラプトンの後押しを受け、『ジェシ・デイヴィスの世界(JESSE DAVIS)』でソロ・デビュー。エリックの他にも、レオン・ラッセル、グラム・パーソンズといった豪華ゲストが参加。1971年8月1日、ジョージ・ハリスンが呼びかけた「THE CONCERT FOR BANGLA DESH」に参加。1972年、ソロ第2弾『ウルル(ULULU)』発表。ドクター・ジョン等が参加。ジョージ・ハリスン作の「スー・ミー・スー・ユー・ブルース」等を収録。1973年、ソロ第3弾『キープ・ミー・カミン(KEEP ME COMIN')』発表。結果的に、これが最後のソロ・アルバムとなる。

 1970年代は、精力的なセッション・ワークを主な活動とする。1980年代は活動が目立たなくなるが、晩年には、スー族のインディアン詩人、ジョン・トゥルーデルの詩に演奏をつけるライヴを行い、ジョンとの共演を収めたカセット・テープも残す。そのカセットテープはボブ・ディランにその年で最も良かった録音と評された。1987年には、久々にタジ・マハールと共演、『タジ』にゲスト参加。

 1988年6月22日、カリフォルニア州ベニスのアパートで、麻薬のオーバードースによるショックで亡くなった。

 1988年6月22日死去(享年43)