ロジャー・ウィリアムソン

ロジャー・ウィリアムソン(Roger Williamson 1948年2月2日生)
 [イングランド・レーシングドライバー]



 レスターシャー出身。1972年にイギリスF3を制覇。翌年はF2に参加していたが、F1ドライバーのジャン=ピエール・ジャリエがF2チャンピオン獲得を狙って、F2に専念。ジャリエの代役として、ウィリアムソンはイギリスグランプリでF1デビューを果たしたが、2周目に発生した多重事故に巻き込まれリタイアした。

 デビュー2戦目となったオランダグランプリで悲劇が襲う。8周目、コース中盤のS字コーナーを通過した際、タイヤトラブルからウィリアムソンのマーチ731フォードはガードレールにクラッシュ。そのガードレールが過去のマシンのクラッシュ跡で、コースとは反対側に反っているという危険な状態だったため、マシンは飛び上がって一度土手に乗り上げた後、コースに転落して横転。さらに火災が発生した。横転後もマシンのスピードは衰えず、逆さまのままコースを燃え上がりながら滑っていき、ガードレール沿いのコース脇にようやく停止した。それを目の当たりにした同僚のデビッド・パーレイが救出のために自らマシンを止めて駆け寄り、消火と救出を試みたが果たせず、ウィリアムソンは燃え盛るマシンの中で焼死してしまった。F1デビューからわずか2戦、一度も完走を果たせないままの死であった。

 ウィリアムソンが事故に遭いマシンが炎上し、パーレイが救出しようと奮闘するが果たせず、レースを続けている他のドライバーに停車と救出への協力を求めるが無視され、目の前でウィリアムソンが焼死していくのが分かりながら肩を落として去る、という悲劇的な顛末は写真や映像として記録されている。後にパーレイは「あの時、彼はまだ生きていたんだ。僕に叫んでいた。『For God's sake, David, get me out of here!!(頼むから、デビッド、俺をここから出してくれ!!)』と」と語っている。

 パーレイの英雄的な行動が大いに賞賛された一方、ほとんど有効な消火救出手段を講じず消防車が到着するのを待つだけだったコースマーシャルや、レースを赤旗中断しなかったレース主催者や、事故現場のすぐ脇を素通りしレースを続行した他のドライバーを非難する声もある。ただし当時のレースの現場関係者で耐熱性の高い服を着用しているのはパーレイ等ドライバー位であり、マーシャルには十分な装備が与えられていなかったという一面もある。事故後もレースを続行したドライバーの多くはパーレイをウィリアムソンだと勘違いし、炎上しているマシンのドライバーは無事に脱出できたと思っていたという意見もある。現在とはレース運営や安全性に関する意識が異なっていた時代であり、現在の基準でコースマーシャルや他のドライバー達の行為を評価するのは不当という意見もある。

 ウィリアムソンの乗っていたマーチのロールバーを補強するステーが前方に伸びていた為に救出が出来なかったという意見があり、当時のマシンデザイナーは大きなショックを受けたと言われている。

 1973年7月29日死去(享年25)