尾上菊五郎が最期に食べたかった意外なもの

 6代目尾上菊五郎は、幅広い芸風で名をはせ、初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた歌舞伎役者である。菊五郎は1949年7月10日に63歳でこの世を去っているが、その臨終間際にどうしても食べたかったものがあったという。



 1949年4月6日、血圧が240まで上がり、眼底出血が起こり、7月に入ってからは尿毒症を併発して重体に陥った。7月、知人が病院まで見舞いに来て、枕元で涙を見せると菊五郎は、薄く目を開けていった。「まだ早いよ」。7月9日、菊五郎は唐突に「桃屋の花らっきょうが食べたい…」と消え入るような声で呟き、それを聞いた東京劇場の斎藤支配人は銀座にでかけて、方々の店を捜しまわったが、結局は見つけることができなかった。当時は戦後の混乱で砂糖が統制下にあり、当時の桃屋の社長が「肝心の砂糖がないなら作らない方がいい」と一時生産を休止していたのである。仕方なく他社のらっきょう漬を買って届けたが、彼は口にするなり「こりゃ桃屋のじゃねえ!普通のらっきょうだ!下げろ!」と言った。

 翌日、菊五郎の容態は悪化し、臨終のときを迎えた。悲しみのために泣き出した夫人に菊五郎は最後の言葉としてこう言った。「お前は覚悟が悪い。いくら泣いたって吠えたって、俺の寿命は決まっている。ゆくところへゆくんだから、お前たちはワサワサしちゃいけないよ。静かにしなければダメだ。いいかい、いいね」。文化勲章受賞者の名に恥じない見事な往生だが、桃屋の花らっきょうを最後に食べさせてあげられなかったことが、さぞかし遺族にとって心残りだったであろう。