徳永善也

徳永善也(とくながよしや 1964年6月7日生)
 [ミュージシャン]



 福岡県出身。小学生時代によく黒いジャンパーを着ていたため、クロベエと呼ばれるようになった。チェッカーズが結成された1980年、メンバーに車に連れ込まれ、「山に埋める」と脅されて加入させられた経緯を持つ。当時は元々別のバンドに所属していた。チェッカーズは1983年にメジャーデビューし、ドラムスを担当。解散まで在籍し、そのひょうきんなキャラクターでも親しまれ、ステージ上だけでなく様々なバラエティ番組などでも人気を博した。

 徳永の実父は会社を自営していたが、1985年年末仕事のため車で移動中、踏切事故で他界。この事故について補償などの後処理は、チェッカーズの所属事務所・スリースタープロが行ったという。チェッカーズは1992年末で解散し、藤井兄弟・武内・大土井はスリースタープロを事情あって退社したが、徳永は高杢・鶴久とともに社に残った。これは鉄道事故補償の恩義を徳永が通したからだといわれる。

 1993年、『リトルバッハ』を結成。準備期間を経て1995年より本格的に活動を開始する。しかしその後、徳永をリーダーとして結成されたバンド、リトルバッハはライブ動員、CD売り上げともに伸びず、スリースタープロの決定により1998年に解散。徳永は事務所を退社、一時芸能活動を全て停止の上、大型トラックの運転手をして生活を支えていた時もあったという。

 チェッカーズ解散後は鶴久政治のレコーディングにドラマーとして参加したり鶴久のライブにドラマーとして出演していた。2002年、博多時代からの仲間であった隈富太郎がきっかけで隈が率いるバンド、『WILD-G』に加入。癌発覚直前の2003年、平行してチェッカーズ時代の仲間である武内享・大土井裕二・藤井尚之とアブラーズを結成。

 精力的に音楽活動を行っていたが、2004年8月17日、前年より患っていた舌癌のため死去。40歳の若さ、生涯独身であった。

 2004年8月17日死去(享年40)