ラリー・ヤング

ラリー・ヤング(Larry Young 1940年10月7日生)
 [アメリカ・キーボード奏者]



 ニュージャージー州ニューアーク出身。ソウル・ジャズ寄りのジミー・スミスとは対照的に、モーダル・ジャズの先駆者として知られるが、その実ソウル・ジャズも手懸けた。ジミ・ヘンドリックスとのジャム・セッションによってレコードを残したことから、ジャズ愛好家だけでなく、ロック愛好家にも名前が知られている。

 1950年代にさまざまなリズム・アンド・ブルースのバンドと共演した後、ジミー・フォレストやルー・ドナルドソン、ケニー・ドーハム、ハンク・モブレイ、トミー・タレンタインとの共演でジャズの経験を積んだ。1960年よりプレスティッジ・レーベルでリーダー・アルバムの録音を開始し、『テスティファイイング』や『ヤング・ブルース』、『グルーヴィー・ストリート』など多数のアルバムを作った。1964年にブルーノートに移籍した頃には、ジョン・コルトレーンの顕著な影響が見えるようになった。ヤングの最良の作品が作り出されたのもこの頃である。

 ギタリストのグラント・グリーンやドラマーのエルヴィン・ジョーンズとしばしばトリオを組んでおり、時にはその編成に多少の増員を行なった。このような手順を踏んだアルバムは、ほとんどがグリーンの名義で発表されたが、アルバム『イントゥ・サムシン』は、ヤングのブルーノートにおけるデビュー盤となった。1965年に録音されたアルバム『ユニティ』は、ヤングの代表作であり、ジョー・ヘンダーソンや若き日のウディ・ショウを最前線に押し出している。その後のブルーノートにおけるアルバム(『ラブ・アンド・ピース』、『コントラスツ』、『ヘヴン・オン・アース』、『マザー・シップ』)は、1960年代のアヴァンギャルド・ジャズの要素を取り入れたり、ヤングの地元ニューアーク出身のミュージシャンを起用したりするなどした。

 その後、トニー・ウィリアムズのグループ、ライフタイムの『エマージェンシー!』に参加したり、ジョン・マクラフリンと共にマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』にも参加したが、肺炎を放置したため37歳で早世した。

 1978年3月30日死去(享年37)